命懸けで逃げよう

4月5日、歌手の加川良さんが急性白血病でお亡くなりになった。


いつからからか知らないが父がずっと追いかけていた人。私が生まれる前から今に至るまで何十年とファンをしていた。小さい頃から家や車の中で加川さんの曲が当たり前にかかっていた。母が食器を洗う音や家族の会話の声と同じように、日常の生活音だった。聴けばああ、この曲だと大体は分かる。しかし私は加川さんについてほとんど知らないし歌詞もちゃんと読んだことがない。フォークシンガーで、高田渡さんと同系列の人、というくらいの認識しかなかった。わけあって小学校高学年くらいから父が嫌いだったので父が好きなものも全部嫌いだった。音楽も。


ライブに出かけては毎回色紙に歌詞やサインを書いてもらい、毎回ツーショットを撮って帰って来た。孫が生まれれば孫の名前を色紙に書いてもらっていた。それらは雑多なもので溢れた父の部屋で大事そうに飾られていた。それだけならまだ分かるが、父は加川さんが好きすぎるあまり、いい歳をして髪型や筆跡まで真似ていた。母によると昔かららしい。そもそも容姿端麗な加川さんとは顔立ちがまるで違うし、大きな顔にその髪型は似合わないと家族から批判を浴び続けても何十年その髪型でいた。ライブの物販で買ったいわゆる「オタT」が一張羅だった。家族で出かける時や友達が家に遊びに来る時もそれを着ていたので恥ずかしかった。高校生の時、私が流行に乗って買ってはいいが飽きて放置していたカバンを父が欲しいと言ったのであげたらライブに持って行き、「○○さん、いいカバン持ってるねって褒められた」と意気揚々と帰ってきた。ライブ後はファンの仲間と呑んで夜中まで帰って来なかった。

何もかも理解できなかった。父が喜ぶ姿を観れば見るほど呆れた。



私は出産後、大森靖子さんのライブに行くようになった。なぜもっと早く存在に気が付かなかったのか悔やむほど大森さんが好きだ。自分が置かれた状況的に全部は無理だができる限り大森さんが歌う姿を観たい、追いかけたいと思っている。その理由として大森さんの音楽が好きなのはもちろん、大森さんとほぼ同世代であるというのも大きい。ある知り合いが「小説でも音楽でも好きな人がいたとして、それが過去の人でもいいけれど、今生きていて、しかも自分と同世代だったらこれほど面白いことはない。その人と人生が進んでいく。」と語っていた。山口百恵さんが好きだし、他にも好きな人はいるけれど同世代ではない。つい外側というか遠くから観てしまう。

大森さんとは歩んできた人生は互いに違うかもしれないが同じ時代に生きた。歌詞やMCで感覚的に分かる!と共感することが多いのも世代的なものが多少はあると思う。これは偶然だが息子が一人いるという境遇も似ている。数々の分かる!が重なり、水彩画のぼかしのように自分の色が大森さんのピンク色に溶け込む。大森さんを恐れ多いと思いつつも、ファンとの距離が近いことを喜んでいる。身に着けているものを褒められたら嬉しいし、DMするし、ラジオには交換日記のように何でも投稿してしまう。だからなのか、大森さんが売れてほしい、もっと多くの人に知られてほしいといつも思っているはずなのに、心の奥で仲良かったクラスの友達に置いていかれたような卑屈さが蟠っているのに気付く時がある。


これって父も同じではないか。加川さんと父はほぼ同世代である。父は髪型や筆跡を真似て加川さんになり、溶け込みたかったのかもしれない。父のことは今も好きではないが以前のように憎悪対象ではなくなった。


大森さんのライブに行くようになった今なら少しは理解できるかもしれない、と実家に帰省した時に父が最近もライブに行っているのか母に聞いたら加川さんが白血病で闘病中だと知った。遣る瀬ない気持ちになった。そして病状はどうなのかな、次はいつライブされるのかなと思ってググった日、前日にお亡くなりになったというニュースを見つけた。間に合わなかった。


ドラマ「カルテット」ですずめちゃんが「音楽は戻らないよ、前に進むだけだよ」と言っていた。私は加川さんの音楽をちゃんと聴いたこともなければライブに行ったもなく、父を理由に拒み続け、亡くなった後初めてYoutubeでライブ動画を観た。なんて皮肉な。女性卑下や政治思想的な曲もあり、全てに共感できるわけではないが、「教訓I」という曲の「青くなって尻込みなさい 逃げなさい隠れなさい」という歌詞に大森さんに共通する何かを感じた。でももう歌う姿を観ることはできない。何にせよ、亡くなってからYoutubeの再生回数を伸ばしているような自分が嫌だ。


偉い人でも誰でも人間である限りいつか死を迎える。明日死ぬかもしれないし、高齢まで生きて死ぬかもしれない。大森さんが実験室で若くして亡くなったある方の話になった時、「私は死んだと思ってない。大切な人が死んだ時にそれで終わりにするのでなく、その人が自分の中で生きることで活動につながる」というようなことをおっしゃっていたのが忘れられない。死んでしまったらその人の人生も音楽も先へは進まないが自分の中で駒を進めることはできる。そして自分が死んだ時、誰かの人生に寄生する。それが繰り返される。

何が言いたいか分からなくなってきたが、私は息子に呆れられても自分が好きなものを死ぬまで貫こう。










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# by fukadaumiko | 2017-04-07 12:40 | Comments(0)

京都旅行記(いつの日か見る記録)

今回の旅の目的は他でもない「大森靖子の京都旅行」である。
CD発売記念イベントを除けば初めて東京以外で聴く大森さんのライブだったが、とにかく最高だった。個人的には史上最高だった。受けたものが大きすぎて未だ消化しきれていない部分もあるが、あの日の感情や温度が日を追うごとに鮮度を失って色褪せていく気がしたので旅行記として書き留めておく。
レポートではなく個人的な旅行記のため、正確さを欠く情報もあるかもしれないし、ライブに関係ない話もある。明日の、そして何十年後かの、自分のための記録。



3月31日(金)
JI・MO・TO着。母と息子と三人で買い物。大学の時よく行ってた本屋さんでユリイカを購入。母が息子をみてくれたので化粧品や下着などここぞとばかり買いまくる。


4月1日(土) 
午前、息子と家の近所の公園へ。小学生の時よく遊んだ公園。当時は広大だと思っていたのに、今見たらものすごくちっぽけに見えて変な感じだった。立入禁止区域に勝手に入って背中を毛虫だらけにした公園。昼食後、息子の添い寝をしていたらそのまま一緒に寝てしまい「行かなくていいの?」と家族に起こされる。

午後、寝跡がついたまま慌てて出発。家から最寄駅まで父に車で送ってもらう。「京都文化博物館やろ?それやったら地下鉄車両の一番後ろで降りて・・・」とあまり私と会話をしない父が自ら話しかけてきた。

京都着。京都は好きな場所の一つで本来であれば色々計画するのだが、ライブのことで頭がいっぱいだったので駅でカルネとあんぱんを買ったらすぐに地下鉄に飛び乗った。烏丸御池駅着。いよいよ近づいてきた感じ。京都はマス目になっているので方向音痴な私でも歩けるのがいい。

会場を確認し、時間までに何か食べておこうとイノダコーヒー本店に向かった。6人は余裕で座れそうな広い丸テーブルに案内された。本当はビーフカツサンドが食べたいと一週間くらい前から思っていたのだが、もし今これを食べてお腹を壊しライブ中退席するようなことがあれば大惨事だとメニュー写真を見て思い直し、ハムサンドを頼んだ。イノダコーヒーのハムサンドといえば父と母が初デートで食べたもので、「ここのハムサンドは美味しいよ」と父は自慢気に頼んだものの実は肉嫌いだった母はそれを言い出せず、分厚いハムが挟まったハムサンドを死にそうになりながら美味しい美味しいと食べた、という話を母から聞いた。その話の通りハムが分厚くて美味しかった。すぐに食べ終わり珈琲を飲みながらユリイカ4月号を読んだ。売店でお土産を買った。

17時頃、イノダを出てそろそろ会場へ行こうかな御手洗に行きたいなさっき行っておけばよかったなと思っていたら早歩きで向かって来るOさんに遭遇した。実はOさんとはこの日二度目の遭遇だったが一度目はOさんだと分からずすれ違い、後からOさんだと気づいた。振り返った時にはもう遠くの方にいた。ご挨拶し、「そろそろ向かおうかなという感じですか?」と聞かれたので一緒に会場へ行かせていただいた。入る前に会場の外観を撮っておきたいと言うとここは逆光、ここに大森靖子って書いてあります、と逐一丁寧に教えてくださった。旅行ガイドみたいな方だと思った。

建物に入ると既にリハーサルが始まっていた。ファンの方が何名か入口付近に立って聴いていた。入口の奥が会場で、衝立のすぐ向こう側に大森さんがいるのがわかった。御手洗に行ってもまだ大森さんの声とギターの音が聴こえた。大森さんの生演奏を聴きながらトイレをするなんて何という贅沢だ、一生でもうないだろうと思った。御手洗を出て入口に戻る途中、廊下の窓ガラスから会場の中が見えることに気づき、覗くと大森さんがいらっしゃった。「ドグマ・マグマ」をああでもないこうでもない、と試すような感じで弾き語りされていて前に座った美マネさんが頷いたり何かコメントしていた。初めて聴く「ドグマ・マグマ」の弾き語り、というか「ドグマ・マグマ」を生で聴くのが初めてだ。今聴いてしまってはいけないという思いつつ、結局そこから動けなかった。ガラス越しに見る大森さんの横顔と腕が美しかった。

整列時間になり中庭に行った。中庭にはたくさん人が集まり互いに話し楽しそうにしていた。いよいよ始まるぞという感じがした。番号順に呼ばれホールに入った。雰囲気を壊さない明るすぎない照明、天井が高く重厚感のある会場だった。横長の配置なので後方でもステージとの距離が近い。物販が気になったけれど一先ず着席した。席に着いたら出辛くなったのでそのまま座って天井や壁の隅々まで観察した。

今回の会場である京都文化博物館別館は旧日本銀行京都支店で、現在は重要文化財に指定されている。個人的に思い入れのある奈良ホテルやお馴染みの東京駅を手掛けた辰野金吾の設計した建物。数日前に読んだHPの情報によるとホールは遠い昔、銀行の営業室として使われていたらしく、「行員たちの机が並び、電話やタイプを打つ音が響いていました」とのこと。ここで百年後、ギターとピアノの音が響くなんて、当時行員として働いていた方々は想像もしなかっただろう。ファンの方がリハを聴いていた入口はかつて「客溜り」だったようで、客は客でもお金の取引ではなく、歌と演奏を聴きに来た客が集まっているのが不思議な感じがする。文化財に踏み入った時の過去と現代がぐるぐると混ざり合う感覚が好きなので、クラシックホテル巡りが辞められないし結婚式も文化財で行った。

かつてこの場所にいた人達に想いを馳せていたら、急に拍手が鳴り大森さんが右側から登場された。「クソみたいなMC、そこそこのピアノ、まあまあうまいギターを弾く大森靖子です」(一字一句正確ではない)とやや自虐的に挨拶されライブは始まった。冒頭に挨拶されるのは珍しいような気がした。ピアノの弾き語りからでいきなりの「M」。まさか「M」から始まると思っていなかったので、聴いた瞬間、感情の糸みたいなのがぷつんと切れて涙が溢れてきた。「そこそこ」とはどう考えても言えない圧倒的なピアノ演奏。「だけど私は恋だったからそれができなかった」の一行が特に心に響いた。続いて「夢幻クライマックス かもめ教室編」。これも生で初めて聴いた。ピアノの音がすごい。何と稚拙な表現だと思うがとすごかった。涙。「青い部屋」。最近この曲についてずっと考えていたのでまた涙。「君に届くな -kitixxxgaia ver.-」。涙。暑くなったのか、大森さんは片手でピアノを弾きながらもう片方の手で器用に着ていたパーカーをゆっくりと脱がれ、その様子がとてもセクシーだった。「キラキラ」。すーと伸びていく声。また涙。

ここでMC。ユリイカの解釈が様々で人によって大森靖子像が違う、という話から大森さんが高校生の時は本当の自分と乖離したイメージを周囲に勝手に作られていて、逆にそれに合わせるように嘘の自分を演じていた、交番で不良になった昔の友達が適当に大森さんの名前を出して先生に呼び出された時も喧嘩が強いと思われたくて否定しなかった話などされた。その話の後に「kitty's blues」を聴くとまたしても涙が止まらなかった。悲しいとか辛いという感情ではなく、嘘の自分を演じることに対する悔しさやるせなが大森さんから乗り移ったのかもしれない。実際に当時大森さんが悔しいと思われていたかどうかは分からない。続いて「オリオン座」。最近、夜寝る前に布団に入って息子と一緒に歌を歌う。何がいい?と聞くといつも「トンネル!(オリオン座)」とリクエストされる。昼間に歌うとなぜか「やめてーアンパンマンで」と言われるが寝る前には歌いたい曲らしい。たどたどしい言葉で歌う姿がたまらなく可愛い。息子に今この瞬間、聴かせてあげたいなと思ったらまた涙が出てきた。結局ピアノ弾き語り中ずっと泣いていたことになる。

続いてギター弾き語り。今回のライブ名にもなっている「京都旅行」を歌われる。やってほしいなと思っていたので、わぁ嬉しいと思って聴いていたら途中で演奏を止められ、これはこういう曲ですと口で説明された。まだ今のように売れていない頃の大森さんが運転手に嫌な顔をされながらギターを抱えて夜行バスに乗り込む姿が目の前に浮ぶ。大森さんは「京都旅行」を歌えないのではなく、昔の思い出に少し蓋をするようにあえて最後まで歌わないのではないかなと感じた。それがかえってよかった。

それからリハーサルで少し聴いてしまった「ドグマ・マグマ」。アルバムの収録曲とは全然違う。何から何まで違う。アルバムのドグマグは勢いがある感じがするが、弾き語りだとどっしりとした安定感と力強さがあり、うまく言えないが太古から神に呼ばれているような感じがした。弾き語りver.、また聴きたい。
「アナログ・シンコペーション」。実験室で初めて聴いて心奪われた曲。個人的に「kitixxxgaia」の中で一番引っかかる曲。「さっちゃんのセクシーカレー」。高音が天井によく響きそれがこちらまでびゅーんと届き気持ちよかった。曲に関連したMCも面白かった。次は何かなと思ったらナナちゃんの座った机を反対側に動かされてLADY BABYへの提供曲「LADY BABY BLUE」。この曲を聴いている間、自分の体が京都から急にどこか遠いところへ行ってしまったような感覚になった。この曲については思うことがたくさんありまだ処理しきれていない。後日記述したい。

続いて「TBH」を歌われ、歌い終えると「TBHの話をしていいですか、今更ですが」と言われ、輪廻と山手線と銀河鉄道と四国八十八箇所の話をされた。頭がまだ混乱しているが、大森さんの輪廻、我々の輪廻がふわふわと無数に浮かんでいて各々の輪廻がどれぐらい重なるか、または重ならないかという話なのかなと思った。「kitixxxgaia」の最初と最後の間の11曲をどう感じるかもそういうことだとおっしゃった。

「展覧会の絵」。直前にユリイカを読んでいたので、ジョニー大蔵大臣さんのことを思い出した。この曲を聴くといつも高校で美術部だった時の記憶がよみがえる。続いて「コーヒータイム」。大森さんの存在を最初に教えてくれた方が一番好きだと言っていた曲。私も好きな曲。久しぶりに聴けて嬉しかった。初めて大森さんを生で観た日にこの曲を初めて聴き、「雨はほどけて 春はまた来る」という歌詞が余りにも詩的で美しく驚いたのを今でも覚えている。

「呪いは水色」そして「さようなら」。確か(自信がない)、「呪いは水色」の途中からマイクを外しアカペラで歌われた。それまでマイクのある中央に立って歌われていた大森さんが左右に少し移動されたので目が合ったような気がしてドキドキした。ばっちり目が合ってしまった時も固まってしまうが、合ったかな、いや気のせいかな、やっぱり合ったかも・・という時が一番ドキドキする。

アンコール。この日一番楽しかったし、一番笑った。大森さんの「せーの!」でみんなが一斉にリクエスト曲を叫んだ。後で「コミュニケイション・バリア」の冒頭みたいだなと思った。まだペンライトを使っていなかったので「ミッドナイトー!」と揃って聞こえるかと思いきや、誰が何と言ったのかわからないぐらい揃わずバラバラ。混沌とした叫び声が会場でぶつかり合って波のようにうねっていた。それだけなのにすごく可笑しくて面白かった。この「遊び」を二回やったけど何度でも、できることなら永遠にやりたいと思った。他の場所でもまたやってほしい。ちなみに私は天井の高いこの会場で「I love you」を聴いてみたかった。聴く時の自身の状態によって変わるので一番なんて選べないけど、どうしても一つ選ぶ必要があるとすれば「I love you」が一番好きな曲かもしれない。ユリイカの関係者アンケートで好きな曲の質問があって、人それぞれ違っているので読むのが面白い。大森さんはアンコールの「新宿」と「漫画」(この短縮がじわじわと面白い)を終えると、ナナちゃんと共に手を振りながら颯爽と去られた。

最後の方のMCで「こんな会場なのにこんな格好できてしまった」とやや自虐的におっしゃっていたが、この日、道重さん卒コンのスタッフTシャツ(を真似て勝手に作成したもの)を纏った大森さんの、会場の雰囲気に迎合せず好きなものを貫いている姿が清々しく、こういう会場だからより美しさが際立つなと思っていた。

終演後、お話ししたいと思っていた方にお声かけいただいたり、主催者の方や関係者の方にご挨拶した。その時の私はおかしい顔をしていたと思う。ライブ中余りにも集中し過ぎたせいで放心状態になっていた。フルマラソンの後みたい、でもフルマラソンしたことないしなと考えていたら、あ、これは出産後の感覚に似てる!と気づいた。とにかくすごいものを観てしまった、いや体感してしまった。

会場の外に出ると当たり前だがすっかり暗くなっていた。冷たい空気にあたっていると、出産後みたいな状態も少し落ち着いた。さっさと帰る人はあまりおらず、皆中庭で何か話しており、建物を出てもまだ話していた。博物館の人にやんわり注意された。皮膚感覚が蘇ってきたので行ってみたかった立ち飲み屋でビールを飲んで帰ろうとご挨拶してその場を去った。歩きつつスマホで調べたらそのお店がそろそろ閉店時間を迎えることを知り、がーん、はてどうしようと立ち止まった。どこかでビール飲みたいなぁと思っていたらファンの方々が列になって歩いて来られ、Oさんがいてあれ、という顔をされたので「あの、立ち飲み屋が・・」と聞かれてないのに訥々と説明したら「打ち上げにいくみたいです いきましょいきましょ」と明朗におっしゃり、え、どうしようと考えているうちに列に入って歩いていて、行きついた先でほとんど断りもせず打ち上げに参加させていただくことになった。初めて参加した打ち上げはオールスターに囲まれて緊張したけれどみなさん優しかった。誰と何を話したか、それについてどう思ったか、その辺りは「日記にかかない幸せ」な気がする。あっと言う間に時間が来て、帰路に着いた。帰り道で1円玉の奇跡も起こった。この時点で頭の容量がいっぱいいっぱいになっていたので奇跡にちゃんと反応できなかった。

実家に着き、お風呂に入って息子の寝顔を確認し隣ですぅーと眠った。
最期死ぬ時はこんな感じなんだろうなと思った。


4月2日(日)
あっという間に朝が来て、バタバタ帰り支度をしてお土産を買い、東京に戻ってきた。昨日のことが夢だったような気がした。ようやく家の最寄駅に着いた時、息子が突然、昼間は歌いたくないはずの「オリオン座」を歌い始めた。少し音程の外れた舌足らずな声を聴いた途端、旅の終わりを実感し胸いっぱいになった。
京都旅行、行って本当によかったなと思った。

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# by fukadaumiko | 2017-04-06 03:48 | 旅行 | Comments(0)

きもちわるいものはきもちいい

ついに、『ユリイカ』に大森靖子さんが特集される日がきた。この時を待っていた。
ずっとずっと夢だった。

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私は月刊誌『ユリイカ』を編集する立場でも販売する立場でもない。ただの一読者である。毎号買っている雑誌というわけでもない。だが『ユリイカ』に個人的な思い入れがある。(以下『ユリイカ』の『』は外す)

高校生まで小説なんて一冊も読まなかったのに大学生以降、「ゲイジュツ」に精通しているのがカッコいいという意識があったのか文学や映画に俄然興味を持ち始めた。男子と話した時に馬鹿にされたくない負けたくないという変な対抗意識もあり、遅咲きながら知らない領域を知りたい欲が急激に湧いた。でもお金がなかったので名画座のオールナイト上映を観たり大学の視聴覚室に浸ったり、授業をさぼって図書館で気になる本を片っ端から読んだ。図書館でユリイカの存在を知り、「詩と批評」と表紙に書かれているの何かかっこいいなぁという単純な気持ちで初めは手に取ったが、読んでみると作家や映画監督のことが複数の専門家により解かれていてなるほどなと感心しっぱなしだった。ユリイカで初めて知る人もいて一層好奇心が掻き立てられた。当時の私には千円以上する雑誌は高かったので名画座にも行けなくなった金欠時は図書館の日当たりのいい席で「貸出不可閲覧用」の押印がされたユリイカ最新号を読むのが楽しみだった。

ゼミにこそ入らなかったが大学で好きな教授がいて、その先生の芸術論の授業がとにかく面白かった。その授業は履修してる学生数が数百人で初回の講義室の埋め尽くしようからこれはすごい授業なのかと思ったが、二回目から来る人が激減し、見渡して数えられるほどの人数になり、あとはいつも同じ人が大体同じ席に座って聴いていた。先生の話は面白いのだけど脱線も多く、世の中で売れている作家や芸術家をたまにひどく貶し、何の話をしているのか分からない時もあった。雨の日は先生が来なくて予告なく授業がなくなった。飲み会は絶対来ないとゼミに入っている子が教えてくれた。
その先生がゴダールも金井美恵子もヘンリー・ダーガーも教えてくれた。期末に提出するレポートは書く時間がありませんでした、と学部と名前さえ書いて出せば合格点はあげると先生は言っていて、多分それが履修学生数の多い一番の理由だったのかもしれない。逆に最高評価(5点)は出ないという噂があり、レポートをちゃんと書いてもいつも合格点しかくれなかった。でもたった一度だけ最高評価をいただいた。本当に嬉しくて、他の授業は落ちようが評価が悪かろうがどうでもいいなと思った。その時のレポート課題は確か「芸術とは何か」で、今読み返すと稚拙で読めたものではないが、先生の言っていることはこうではないかという自分なりの解釈をレポートなのに手紙のように書いた。

先生はいつも、
「芸術は一番無駄なもの。だが我々人間が自然災害や死など人間の力ではどうしようもできないものに対峙した時、芸術や信仰がその防波堤となる。結局最後に残るのは芸術だ、映画や音楽や文学は生活と一番遠い存在であるようで我々と切っても切り離せないものだ。」

「例えば昔、風を防ぐために窓を作った。ガラス一枚隔てた向こう側は暴風が吹き荒れている、けれどどうすることもできずただ窓の内側でじっと待つしかない、すると次第に神様に天気の回復を願うようになり、窓に絵を描いたり装飾を施すようになる、これが芸術だ。」

記憶で書いているので少し違っているかもしれないけれどそのようなことを言われていた。
芸術とはそういうものなのか!最も無駄なものが最も意味がある!とパズルが嵌ったように腑に落ち、今後これを大事に生きていこうと決めた。そして先生がユリイカで時々寄稿されているのを後から知った。

大森靖子さんに出会った時、芸術だ!と先生の言葉が浮かんだ。
「青い部屋」を初めて聴いた時、耳を通って入ってきた美しい世界に頭が真っ白になった。「青い部屋」のライナーノーツにあの時授業で知ったヘンリー・ダーガーのことが書かかれているのを読んだ瞬間、ダーガーの描く戦う子ども達や黄色やピンクの鮮やかな色彩、誰にも見つけられなかったダーガー自身が走馬灯のように脳内に押し寄せ、ああ、今つながった、あの時感心していた自分、馬鹿みたいな必死さで「ゲイジュツ」を追いかけてユリイカを読んでいた自分につながったと泣いた。大森さんがいつかのラジオで「きもちわるいものはきもちいい」とおっしゃていて、似た発言を何度かされていたのも、あぁ私の大事がここでもつながったと感動した。

大森さんの歌う言葉が好きで聴く度に心が解体する。まだ特集されていないと知ってからユリイカ大森靖子特集をずっと夢見ていた。この人やあの人が特集されるのに大森さんが取り上げられないのが悔しかった。お金がなかった私のそれまで偏狭だった世界がぐんと広がったように、高校生や大学生が学校の図書館や公共図書館に置いてあるユリイカを手に取り、大森靖子さんの存在を知り、大森さん以外の他の音楽や映画も好きになる、生きている世界が少しは面白いと思える、それってすごいことじゃないかと思った。SNSの方が影響力がある、ユリイカが何だ、最近の特集が理解できないという人も中にはいるかもしれない。でも私にとってユリイカは、未知の領域を知りたい、吸収したい、男子に負けたくないと今ではあり得ない程の異常な熱量で目を見開いていた自分を一つの過去として残すための大切な雑誌だ。

夢が一つかなった。
ありがとうございます。一人でも多くの人に読まれますように。

本屋で他の文芸誌と一緒に平積されているのを見て感無量になった。ドキドキしてまだ中が見れないので心が落ち着いたらそっと表紙を開いてみよう。




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# by fukadaumiko | 2017-03-28 12:33 | | Comments(0)

あ、アナログシンコペーションしてる

ラジオ「よなよな」で大森靖子さんの「ドグマ・マグマ」を初めて聴いてから、
「世界が消えてった夜も “世界が消えた”ということもあった」
という二行の歌詞についてずっと考えていた。

なぜここで一見似た歌詞が繰り返されているのか、強調なのかと最初は感じた。何度も聴いているうちに、もしかするとこうかもしれないという仮定が頭の中にぼんやりと浮かび上がってきて、輪郭がだんだん明確になり自分なりの結論を出した。さてそれを文章化するのか、どうアウトプットしようか迷った挙句、結局一番伝えたいのはご本人だと思い、稚拙ではあるが手紙に書いてリリイベの時にお渡しした。

いつも一緒に大森さんのライブに行くメンバーが久々に揃ったリリイベの後、いい感じの食堂で煮込みとビールを胃に納めながら大森さんについてあれこれ話し、それでもまだ「大森靖子不足」だったので歌が好きで上手な後輩(男)に大森さんをひたすら歌ってもらおうとカラオケに向かう途中、歩きながら「世界が消えてった夜も “世界が消えた”ということもあった ってどういうことだと思う?」とふと聞いてみたたが明確な答えが返ってこなかった。手紙に書いたけれどまだ誰かと話したいという気持ちが強かった。 

そう思っていたら数日後、ツイッターやブログ上で同じようにこの二行について考えて解釈を書かれている方を見つけ、仲間を見つけたように嬉しくなった。私よりはるかに深い考察をされていたり、全く別の捉え方をされていたり、どの解釈も自分の解釈と似ている所もあれば全く違っている場合もあり、なるほどなと感心し興奮を覚えた。他の方に比べると私の解釈は浅く、上に大森さんが作詞に込めた想いとかけ離れているかもしれないが、それでもこれが私の体内で反芻され出てきたものなので壊さず大事に置いておきたい。
以下「私の」解釈。

最初の「世界が消えてった夜」は、「消えてった」という口語体から主観性を強く感じた。「夜」という限定的な時間からも、ここではベクトルは内側に向けられ、我々個々の「世界」が消えたこと失われたことを指すのかなと解釈した。好きな人に裏切られた、守ってきた価値観が踏みにじられた、大切な人を失った、信じていた方法では通用しなかった、それぞれ存在していた個の世界の喪失。

一方で後の「“世界が消えた”ということがあった」は“世界が消えた”とあえて“”で括られ、「ということ」と書かれているのが神話や歴史上の出来事のように客観性を帯びている。自己の限定された対象に向けられていた視点がここで一気にぶわっと外側の世界へ広がったと私は思った。客観的な世界とは何か、それは例えばテレビをつけた瞬間ニュースで見かけるどこかの知らない自殺した青年、親に殺された子どもが持っていた「かつてあった世界」であるかもしれないし、あるいは生命の存続にかかわらず、人類が生まれてから現在に至るまで「かつて存在したが失われた全ての世界」のことを指すのかもしれないと思った。当人以外にとっては無関係の「世界」。歴史の授業で「戦によってある国が滅びた、何人が死んだ」と聞いても実感のなかったその感覚で私達は今も他人の、自分以外の「世界」が消える様を傍観している、あるいは消えたことにも気が付かない。

どちらの「世界」も間違いなく「存在した」んだ、決して忘れるなと「世界」を消した、消された、そしてそれにも気が付いてない者達イコール地球上全ての人間に告げている、と想像して震えた。

私は別の視点から見た異なる世界として捉えたが、そうではなく時間的経過により「世界が消えた」ことに対して心理状況が変化したということだと書いている方がいてなるほどな、と深く頷いた。そうかもしれない。

これはあくまで個人的な話だが、私は出産してから普段目にするものや接するものへの見方が確実に変った(と少なくとも自分では思っている)。特に人間への興味が物凄く、殺された人の記事や交番の前に掲示された「昨日の交通事故者数」を見た時、なぜか以前より気になるようになり、その人はどんな人だったのだろう何が好きだったのだろうと考える時間が多くなった。道を歩いてる他人や知らない人のブログやツイッターへの関心も以前より強くなった。それは多分今までは自分という存在が一つしかなく、自己だけ見つめて生きていれば万事快調オールオッケーだと思っていたのが自分の遺伝子を持った人間が突然(というほどではないが突然)登場したことにより、自身の目でもう一人の自分(=子ども)を見ているような感覚になった。自己意識の届かない場所に自分が存在するのが日常になり、他人にも自分を投影し重ねて考えがちになっている。
だから私は「“世界が消えた”ということがあった」を先述のように解釈したのかもしれない。

大森さんが新生姜ライブの時に「虐待されて殺された子どものことをニュースでやっていて、その時テレビに映った殺された子どもの洋服が自分の息子が着ていた服と同じでたまらなくなった」というようなこと(一字一句正確ではない)とおっしゃっていたのが忘れられない。大森さんは出産を経ても何も以前と変わらないかもしれない。母になるとこうなる、と書いてあることの大抵はいい加減なので私には分からない。

ただ、私が「ドグマ・マグマ」を聴いて歌詞を考え、他の方の解釈を見聞きしそれを受けて更に考えられるのが今現在でよかったと思っている。子どもが寝た後、ツイッターで「世界が消えてった」で検索し、色々な方の解釈を読んでいたら、それぞれが異なる意見を持っているのに最終的に向いている方角は同じ気がして、あ、アナログ・シンコペーションしてる、今まさに!と夜中に気づいて叫びそうになった。

ながーい独り言、終わり。

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# by fukadaumiko | 2017-03-22 23:14 | 思いつき | Comments(0)

みずしまれおにまつわる妄想録

れおさんのことばかり考えている。


れおさん、水嶋玲音は坂元裕二脚本によるドラマ、カルテット第6話で登場した巻真紀の夫、幹夫の元彼女。超歌手の大森靖子さんが演じるということで期待が高まり、いつもは録画で観ていたけど10時にテレビの前で彼女の登場をそわそわ待った。予想より登場時間は短く、あっという間にれおさんのシーンは終わってしまったけど、登場の仕方、でっかいメガネのビジュアル、話し方、突然のライン、飼い猫の名前、いずれにおいても彼女が放つ魅力が物凄く、あまりに濃い人物像に放送後ずっと水嶋玲音のことが気になっていた。一瞬だったからこそ色々と妄想が止まらなくなった。Twitter上でも彼女の性格や出身大、飼い猫ギロチン等について様々な考察が巡らされ、大森靖子さん演じる水嶋玲音の魅力が只ならぬものだと物語っている。かくいう私も気がつくと仕事に手がつかなくなるくらい彼女のことばかり考えていて、どうにも落ち着かないので何とかする手段として彼女になりきって書いてみた。気持整理のために書くだけだからドラマの設定と合わないところもあるしそれぞれの水嶋玲音像を侮辱するかもしれない。文はあまりに稚拙な上、改行もなく読み辛いからこれはただの妄想録としておく。間違っても小説ではない。


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私は水嶋玲音。1987年7月生まれ。29歳。大学入学と同時に上京して以来、ずっと明大前に一人暮らししている。よく美大出身ですか、と聞かれるけど違う。美術とは無縁の私立大学に通っていた。仏文科専攻。高校時代は美術部で、絵を描くのが好きだったので某美大には入りたいとは思っていた。高校2年の夏休み、同じ部活で美大を目指していた友達のマリが申込みする時にじゃあ私もって着いて行って予備校に通い始めた。けど、思うようにデッサンが描けなくて、毎回先生に「空気をちゃんと見なさい」と怒られていた。嫌気がさして新学期が始まる頃には辞めた。それでも絵は好きで授業が終われば部室に直行して油絵を描いた。予備校を辞めてから将来のことは何も考えていなかった。その時代の高校生が皆そうであったように私も襟足を伸ばして眉をきれいに整えることに命をかけていて部活帰り油臭い体でマリと一緒にドーナツ屋行ったりプリクラ撮ったりしていた。マリの他はだいたい男友達と遊ぶことが多かった。何かと言ったらすぐグループ化する女子より男子といる方がこう発言したら後で面倒とか余計なこと考えないでいいから楽だった。その中の一人、漫画をよく貸し借りしてた隣のクラスの奴に好きだと言われて付き合ったこともあるけど休みの日に合ったら私服が24時間テレビのTシャツだったから別れた。高校3年の担任との進路相談で何に進むか決めなきゃいけない時になって初めて絵以外の選択肢を考えた。よく知らないが東京に住んでいた叔父が仕事でよくフランスに行っていて面白そうだから何となく仏文科を志望した。大学入学後、絵は描かなくなった。その代わり、仏文科の学生によくありがちだそうだが、それまで全く興味のなかった映画、特にフランス映画にはまった。生まれてから高校卒業するまでずっと山梨の車がないと生活できない場所に住んでいて、雑誌やテレビを見て東京に行きたいと思うことはあっても自分の周りにあるものが全世界で、その完成形の世界を疑ったりダサいなんて思ったことは一度もなかった。けど上京してすぐ下北沢に行って、雑誌に載ってたカフェや古着屋がちゃんと実在するのを見たらなんか感動してしまった。馬鹿みたいだけどこれが都会なんだなと思った。でも数か月経つとその新鮮さにもだんだん慣れてきて下北や渋谷に行っても感動しなくなった。その頃、名画座でやっていたゴダール特集を観た。学科の新歓コンパで「フランス映画といえばゴダールだよね、水嶋さんは何が一番好き?」って一つ上の学年の自称映画好き男が聞いてきて観たことないって言ったら小学生をみるような顔されたのが悔しくて、大学で名画座のチラシを見つけた時、まあ一度観てやるかという気持ちで観た。その時観たのは「女は女である」だったのだけど、字幕を見ても全然台詞が頭に入って来なくて、ストーリーもほとんど意味不明だった。あの男は意味分かって好きと言ってたのだろうか。でも突然歌い出すアンナ・カリーナがとにかく可愛くて、着ている服、髪型、男のあしらい方、しぐさ何もかもが洗練されていた。こういう女になりたいと思った。この映画が好きだという男は悪くないかもと思った。アンナ・カリーナの衝撃を受けた一週間後、学食で例の映画好き男に会って、何か嫌なこと言われたら言い返してやろうと思ったら「玲音ちゃんだっけ?今日の夜暇?ごはん食べに行かない?」って誘われてちょうどその日はバイトのシフトが入ってなかったので行ったら、やたら照明が暗くてでっかいスクリーンに昔の白黒映画が無音で映し出されているカフェで一緒にジントニック(お酒は好きじゃなかったけど男の真似をして頼んだ)を飲んで、実家の猫(あんこ)の話をしてたら猫の写真見せて(写メじゃダメらしい)って家に来ることになって、あとは想像のとおり。翌朝冷蔵庫にあった残り物の野菜でカレー作って食べ終わってバイト行かなきゃなぁダルイなぁと考えていたらカレーの匂いが立ち込める部屋で急に「付き合わない?」と言われてなんとなく付き合うことになった。カレーのルーをあり得ないくらい余らせるところとか、好きになれなかったけど断る理由もなかった。「玲音ちゃんは可愛いね」と会うたびに言われた。二回目のデートで彼のおすすめ映画「死刑台のエレベーター」を観に行った。それもタイトルだけ聞いたことあるぐらいで観たことなくて「死刑の話?ギロチンとか出てくる?」って映画が始まる前に聞いたら「ギロチンっていつの時代?ははは」ってまた笑われてムカついた。ギロチンで主人公の首がすぱっと落ちるシーンをちょっとだけ楽しみにしていたのでギロチンが最後まで出てこなくて残念だったけど花屋の子は可愛かった。その後も知らない映画や漫画の話で同じように笑われることがあり、だんだんそれが苦痛になり別れた。「こんなに好きなのに何で別れなきゃいけないの?」って聞かれた。それからバイト先の居酒屋で厨房担当だった別の大学の子と付き合ったり、友達の彼氏を好きになって略奪するような形になってしまったこともあった。その友達があいつはビッチだと大学中に噂を流した。よく分からないけど大学の裏掲示板にも書かれていたらしい。



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ここまでで幹夫もギロチンもまだ出てくる気配がない。彼女が幹夫と出会うには、ギロチンを飼うには、その前にこんなプロセスがあったに違いないとかぐだくだ考えてたらそこまで至らなかった。

馬鹿みたいな文なので、この続きを書くか書かないか分からないが私は水嶋玲音のことが好きで好きでたまらないらしい。
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# by fukadaumiko | 2017-02-26 15:39 | 思いつき | Comments(0)


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