あ、アナログシンコペーションしてる

ラジオ「よなよな」で大森靖子さんの「ドグマ・マグマ」を初めて聴いてから、
「世界が消えてった夜も “世界が消えた”ということもあった」
という二行の歌詞についてずっと考えていた。

なぜここで一見似た歌詞が繰り返されているのか、強調なのかと最初は感じた。何度も聴いているうちに、もしかするとこうかもしれないという仮定が頭の中にぼんやりと浮かび上がってきて、輪郭がだんだん明確になり自分なりの結論を出した。さてそれを文章化するのか、どうアウトプットしようか迷った挙句、結局一番伝えたいのはご本人だと思い、稚拙ではあるが手紙に書いてリリイベの時にお渡しした。

いつも一緒に大森さんのライブに行くメンバーが久々に揃ったリリイベの後、いい感じの食堂で煮込みとビールを胃に納めながら大森さんについてあれこれ話し、それでもまだ「大森靖子不足」だったので歌が好きで上手な後輩(男)に大森さんをひたすら歌ってもらおうとカラオケに向かう途中、歩きながら「世界が消えてった夜も “世界が消えた”ということもあった ってどういうことだと思う?」とふと聞いてみたたが明確な答えが返ってこなかった。手紙に書いたけれどまだ誰かと話したいという気持ちが強かった。 

そう思っていたら数日後、ツイッターやブログ上で同じようにこの二行について考えて解釈を書かれている方を見つけ、仲間を見つけたように嬉しくなった。私よりはるかに深い考察をされていたり、全く別の捉え方をされていたり、どの解釈も自分の解釈と似ている所もあれば全く違っている場合もあり、なるほどなと感心し興奮を覚えた。他の方に比べると私の解釈は浅く、上に大森さんが作詞に込めた想いとかけ離れているかもしれないが、それでもこれが私の体内で反芻され出てきたものなので壊さず大事に置いておきたい。
以下「私の」解釈。

最初の「世界が消えてった夜」は、「消えてった」という口語体から主観性を強く感じた。「夜」という限定的な時間からも、ここではベクトルは内側に向けられ、我々個々の「世界」が消えたこと失われたことを指すのかなと解釈した。好きな人に裏切られた、守ってきた価値観が踏みにじられた、大切な人を失った、信じていた方法では通用しなかった、それぞれ存在していた個の世界の喪失。

一方で後の「“世界が消えた”ということがあった」は“世界が消えた”とあえて“”で括られ、「ということ」と書かれているのが神話や歴史上の出来事のように客観性を帯びている。自己の限定された対象に向けられていた視点がここで一気にぶわっと外側の世界へ広がったと私は思った。客観的な世界とは何か、それは例えばテレビをつけた瞬間ニュースで見かけるどこかの知らない自殺した青年、親に殺された子どもが持っていた「かつてあった世界」であるかもしれないし、あるいは生命の存続にかかわらず、人類が生まれてから現在に至るまで「かつて存在したが失われた全ての世界」のことを指すのかもしれないと思った。当人以外にとっては無関係の「世界」。歴史の授業で「戦によってある国が滅びた、何人が死んだ」と聞いても実感のなかったその感覚で私達は今も他人の、自分以外の「世界」が消える様を傍観している、あるいは消えたことにも気が付かない。

どちらの「世界」も間違いなく「存在した」んだ、決して忘れるなと「世界」を消した、消された、そしてそれにも気が付いてない者達イコール地球上全ての人間に告げている、と想像して震えた。

私は別の視点から見た異なる世界として捉えたが、そうではなく時間的経過により「世界が消えた」ことに対して心理状況が変化したということだと書いている方がいてなるほどな、と深く頷いた。そうかもしれない。

これはあくまで個人的な話だが、私は出産してから普段目にするものや接するものへの見方が確実に変った(と少なくとも自分では思っている)。特に人間への興味が物凄く、殺された人の記事や交番の前に掲示された「昨日の交通事故者数」を見た時、なぜか以前より気になるようになり、その人はどんな人だったのだろう何が好きだったのだろうと考える時間が多くなった。道を歩いてる他人や知らない人のブログやツイッターへの関心も以前より強くなった。それは多分今までは自分という存在が一つしかなく、自己だけ見つめて生きていれば万事快調オールオッケーだと思っていたのが自分の遺伝子を持った人間が突然(というほどではないが突然)登場したことにより、自身の目でもう一人の自分(=子ども)を見ているような感覚になった。自己意識の届かない場所に自分が存在するのが日常になり、他人にも自分を投影し重ねて考えがちになっている。
だから私は「“世界が消えた”ということがあった」を先述のように解釈したのかもしれない。

大森さんが新生姜ライブの時に「虐待されて殺された子どものことをニュースでやっていて、その時テレビに映った殺された子どもの洋服が自分の息子が着ていた服と同じでたまらなくなった」というようなこと(一字一句正確ではない)とおっしゃっていたのが忘れられない。大森さんは出産を経ても何も以前と変わらないかもしれない。母になるとこうなる、と書いてあることの大抵はいい加減なので私には分からない。

ただ、私が「ドグマ・マグマ」を聴いて歌詞を考え、他の方の解釈を見聞きしそれを受けて更に考えられるのが今現在でよかったと思っている。子どもが寝た後、ツイッターで「世界が消えてった」で検索し、色々な方の解釈を読んでいたら、それぞれが異なる意見を持っているのに最終的に向いている方角は同じ気がして、あ、アナログ・シンコペーションしてる、今まさに!と夜中に気づいて叫びそうになった。

ながーい独り言、終わり。

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by fukadaumiko | 2017-03-22 23:14 | 思いつき | Comments(0)


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