カテゴリ:思いつき( 8 )

あ、アナログシンコペーションしてる

ラジオ「よなよな」で大森靖子さんの「ドグマ・マグマ」を初めて聴いてから、
「世界が消えてった夜も “世界が消えた”ということもあった」
という二行の歌詞についてずっと考えていた。

なぜここで一見似た歌詞が繰り返されているのか、強調なのかと最初は感じた。何度も聴いているうちに、もしかするとこうかもしれないという仮定が頭の中にぼんやりと浮かび上がってきて、輪郭がだんだん明確になり自分なりの結論を出した。さてそれを文章化するのか、どうアウトプットしようか迷った挙句、結局一番伝えたいのはご本人だと思い、稚拙ではあるが手紙に書いてリリイベの時にお渡しした。

いつも一緒に大森さんのライブに行くメンバーが久々に揃ったリリイベの後、いい感じの食堂で煮込みとビールを胃に納めながら大森さんについてあれこれ話し、それでもまだ「大森靖子不足」だったので歌が好きで上手な後輩(男)に大森さんをひたすら歌ってもらおうとカラオケに向かう途中、歩きながら「世界が消えてった夜も “世界が消えた”ということもあった ってどういうことだと思う?」とふと聞いてみたたが明確な答えが返ってこなかった。手紙に書いたけれどまだ誰かと話したいという気持ちが強かった。 

そう思っていたら数日後、ツイッターやブログ上で同じようにこの二行について考えて解釈を書かれている方を見つけ、仲間を見つけたように嬉しくなった。私よりはるかに深い考察をされていたり、全く別の捉え方をされていたり、どの解釈も自分の解釈と似ている所もあれば全く違っている場合もあり、なるほどなと感心し興奮を覚えた。他の方に比べると私の解釈は浅く、上に大森さんが作詞に込めた想いとかけ離れているかもしれないが、それでもこれが私の体内で反芻され出てきたものなので壊さず大事に置いておきたい。
以下「私の」解釈。

最初の「世界が消えてった夜」は、「消えてった」という口語体から主観性を強く感じた。「夜」という限定的な時間からも、ここではベクトルは内側に向けられ、我々個々の「世界」が消えたこと失われたことを指すのかなと解釈した。好きな人に裏切られた、守ってきた価値観が踏みにじられた、大切な人を失った、信じていた方法では通用しなかった、それぞれ存在していた個の世界の喪失。

一方で後の「“世界が消えた”ということがあった」は“世界が消えた”とあえて“”で括られ、「ということ」と書かれているのが神話や歴史上の出来事のように客観性を帯びている。自己の限定された対象に向けられていた視点がここで一気にぶわっと外側の世界へ広がったと私は思った。客観的な世界とは何か、それは例えばテレビをつけた瞬間ニュースで見かけるどこかの知らない自殺した青年、親に殺された子どもが持っていた「かつてあった世界」であるかもしれないし、あるいは生命の存続にかかわらず、人類が生まれてから現在に至るまで「かつて存在したが失われた全ての世界」のことを指すのかもしれないと思った。当人以外にとっては無関係の「世界」。歴史の授業で「戦によってある国が滅びた、何人が死んだ」と聞いても実感のなかったその感覚で私達は今も他人の、自分以外の「世界」が消える様を傍観している、あるいは消えたことにも気が付かない。

どちらの「世界」も間違いなく「存在した」んだ、決して忘れるなと「世界」を消した、消された、そしてそれにも気が付いてない者達イコール地球上全ての人間に告げている、と想像して震えた。

私は別の視点から見た異なる世界として捉えたが、そうではなく時間的経過により「世界が消えた」ことに対して心理状況が変化したということだと書いている方がいてなるほどな、と深く頷いた。そうかもしれない。

これはあくまで個人的な話だが、私は出産してから普段目にするものや接するものへの見方が確実に変った(と少なくとも自分では思っている)。特に人間への興味が物凄く、殺された人の記事や交番の前に掲示された「昨日の交通事故者数」を見た時、なぜか以前より気になるようになり、その人はどんな人だったのだろう何が好きだったのだろうと考える時間が多くなった。道を歩いてる他人や知らない人のブログやツイッターへの関心も以前より強くなった。それは多分今までは自分という存在が一つしかなく、自己だけ見つめて生きていれば万事快調オールオッケーだと思っていたのが自分の遺伝子を持った人間が突然(というほどではないが突然)登場したことにより、自身の目でもう一人の自分(=子ども)を見ているような感覚になった。自己意識の届かない場所に自分が存在するのが日常になり、他人にも自分を投影し重ねて考えがちになっている。
だから私は「“世界が消えた”ということがあった」を先述のように解釈したのかもしれない。

大森さんが新生姜ライブの時に「虐待されて殺された子どものことをニュースでやっていて、その時テレビに映った殺された子どもの洋服が自分の息子が着ていた服と同じでたまらなくなった」というようなこと(一字一句正確ではない)とおっしゃっていたのが忘れられない。大森さんは出産を経ても何も以前と変わらないかもしれない。母になるとこうなる、と書いてあることの大抵はいい加減なので私には分からない。

ただ、私が「ドグマ・マグマ」を聴いて歌詞を考え、他の方の解釈を見聞きしそれを受けて更に考えられるのが今現在でよかったと思っている。子どもが寝た後、ツイッターで「世界が消えてった」で検索し、色々な方の解釈を読んでいたら、それぞれが異なる意見を持っているのに最終的に向いている方角は同じ気がして、あ、アナログ・シンコペーションしてる、今まさに!と夜中に気づいて叫びそうになった。

ながーい独り言、終わり。

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by fukadaumiko | 2017-03-22 23:14 | 思いつき | Comments(0)

みずしまれおにまつわる妄想録

れおさんのことばかり考えている。


れおさん、水嶋玲音は坂元裕二脚本によるドラマ、カルテット第6話で登場した巻真紀の夫、幹夫の元彼女。超歌手の大森靖子さんが演じるということで期待が高まり、いつもは録画で観ていたけど10時にテレビの前で彼女の登場をそわそわ待った。予想より登場時間は短く、あっという間にれおさんのシーンは終わってしまったけど、登場の仕方、でっかいメガネのビジュアル、話し方、突然のライン、飼い猫の名前、いずれにおいても彼女が放つ魅力が物凄く、あまりに濃い人物像に放送後ずっと水嶋玲音のことが気になっていた。一瞬だったからこそ色々と妄想が止まらなくなった。Twitter上でも彼女の性格や出身大、飼い猫ギロチン等について様々な考察が巡らされ、大森靖子さん演じる水嶋玲音の魅力が只ならぬものだと物語っている。かくいう私も気がつくと仕事に手がつかなくなるくらい彼女のことばかり考えていて、どうにも落ち着かないので何とかする手段として彼女になりきって書いてみた。気持整理のために書くだけだからドラマの設定と合わないところもあるしそれぞれの水嶋玲音像を侮辱するかもしれない。文はあまりに稚拙な上、改行もなく読み辛いからこれはただの妄想録としておく。間違っても小説ではない。


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私は水嶋玲音。1987年7月生まれ。29歳。大学入学と同時に上京して以来、ずっと明大前に一人暮らししている。よく美大出身ですか、と聞かれるけど違う。美術とは無縁の私立大学に通っていた。仏文科専攻。高校時代は美術部で、絵を描くのが好きだったので某美大には入りたいとは思っていた。高校2年の夏休み、同じ部活で美大を目指していた友達のマリが申込みする時にじゃあ私もって着いて行って予備校に通い始めた。けど、思うようにデッサンが描けなくて、毎回先生に「空気をちゃんと見なさい」と怒られていた。嫌気がさして新学期が始まる頃には辞めた。それでも絵は好きで授業が終われば部室に直行して油絵を描いた。予備校を辞めてから将来のことは何も考えていなかった。その時代の高校生が皆そうであったように私も襟足を伸ばして眉をきれいに整えることに命をかけていて部活帰り油臭い体でマリと一緒にドーナツ屋行ったりプリクラ撮ったりしていた。マリの他はだいたい男友達と遊ぶことが多かった。何かと言ったらすぐグループ化する女子より男子といる方がこう発言したら後で面倒とか余計なこと考えないでいいから楽だった。その中の一人、漫画をよく貸し借りしてた隣のクラスの奴に好きだと言われて付き合ったこともあるけど休みの日に合ったら私服が24時間テレビのTシャツだったから別れた。高校3年の担任との進路相談で何に進むか決めなきゃいけない時になって初めて絵以外の選択肢を考えた。よく知らないが東京に住んでいた叔父が仕事でよくフランスに行っていて面白そうだから何となく仏文科を志望した。大学入学後、絵は描かなくなった。その代わり、仏文科の学生によくありがちだそうだが、それまで全く興味のなかった映画、特にフランス映画にはまった。生まれてから高校卒業するまでずっと山梨の車がないと生活できない場所に住んでいて、雑誌やテレビを見て東京に行きたいと思うことはあっても自分の周りにあるものが全世界で、その完成形の世界を疑ったりダサいなんて思ったことは一度もなかった。けど上京してすぐ下北沢に行って、雑誌に載ってたカフェや古着屋がちゃんと実在するのを見たらなんか感動してしまった。馬鹿みたいだけどこれが都会なんだなと思った。でも数か月経つとその新鮮さにもだんだん慣れてきて下北や渋谷に行っても感動しなくなった。その頃、名画座でやっていたゴダール特集を観た。学科の新歓コンパで「フランス映画といえばゴダールだよね、水嶋さんは何が一番好き?」って一つ上の学年の自称映画好き男が聞いてきて観たことないって言ったら小学生をみるような顔されたのが悔しくて、大学で名画座のチラシを見つけた時、まあ一度観てやるかという気持ちで観た。その時観たのは「女は女である」だったのだけど、字幕を見ても全然台詞が頭に入って来なくて、ストーリーもほとんど意味不明だった。あの男は意味分かって好きと言ってたのだろうか。でも突然歌い出すアンナ・カリーナがとにかく可愛くて、着ている服、髪型、男のあしらい方、しぐさ何もかもが洗練されていた。こういう女になりたいと思った。この映画が好きだという男は悪くないかもと思った。アンナ・カリーナの衝撃を受けた一週間後、学食で例の映画好き男に会って、何か嫌なこと言われたら言い返してやろうと思ったら「玲音ちゃんだっけ?今日の夜暇?ごはん食べに行かない?」って誘われてちょうどその日はバイトのシフトが入ってなかったので行ったら、やたら照明が暗くてでっかいスクリーンに昔の白黒映画が無音で映し出されているカフェで一緒にジントニック(お酒は好きじゃなかったけど男の真似をして頼んだ)を飲んで、実家の猫(あんこ)の話をしてたら猫の写真見せて(写メじゃダメらしい)って家に来ることになって、あとは想像のとおり。翌朝冷蔵庫にあった残り物の野菜でカレー作って食べ終わってバイト行かなきゃなぁダルイなぁと考えていたらカレーの匂いが立ち込める部屋で急に「付き合わない?」と言われてなんとなく付き合うことになった。カレーのルーをあり得ないくらい余らせるところとか、好きになれなかったけど断る理由もなかった。「玲音ちゃんは可愛いね」と会うたびに言われた。二回目のデートで彼のおすすめ映画「死刑台のエレベーター」を観に行った。それもタイトルだけ聞いたことあるぐらいで観たことなくて「死刑の話?ギロチンとか出てくる?」って映画が始まる前に聞いたら「ギロチンっていつの時代?ははは」ってまた笑われてムカついた。ギロチンで主人公の首がすぱっと落ちるシーンをちょっとだけ楽しみにしていたのでギロチンが最後まで出てこなくて残念だったけど花屋の子は可愛かった。その後も知らない映画や漫画の話で同じように笑われることがあり、だんだんそれが苦痛になり別れた。「こんなに好きなのに何で別れなきゃいけないの?」って聞かれた。それからバイト先の居酒屋で厨房担当だった別の大学の子と付き合ったり、友達の彼氏を好きになって略奪するような形になってしまったこともあった。その友達があいつはビッチだと大学中に噂を流した。よく分からないけど大学の裏掲示板にも書かれていたらしい。



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ここまでで幹夫もギロチンもまだ出てくる気配がない。彼女が幹夫と出会うには、ギロチンを飼うには、その前にこんなプロセスがあったに違いないとかぐだくだ考えてたらそこまで至らなかった。

馬鹿みたいな文なので、この続きを書くか書かないか分からないが私は水嶋玲音のことが好きで好きでたまらないらしい。
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by fukadaumiko | 2017-02-26 15:39 | 思いつき | Comments(0)

あんぱんぱん

ぱんぱん、あんぱん、あんぱんぱん、あんぱんまん。

こうやって言語はアップデートされていく。
人間ってすごい。

彼の言っていることの9割5分くらいは理解しているつもり。
先生や父親がよく理解できないで困ったように笑っているとへへ、私には分かるわよと変な優越感を感じている。
一歳半の語彙は数えられるほどしかないが、そこのトースターに入ってる焼けてないパンをくれ、この俺的に超絶いけてるスニーカーで外でひとっ走りして来たいから履くの手伝え、眠いけどいい感じの体勢になれない、この紙のこの余白にこのペンで愛しのうーたん描いてくれ、例の高カロリーのうまいビスケットくれ棚に隠しても無駄だ、いやそれじゃない!…などなど微妙に違う発音としぐさ表情で全然別の意味になったり。




会社の人の方が何言ってるか分からないことがある。
耳が痛くなるくらい受話器を押し当て続けて長い話を聞いても結局何の話だったのか理解できずにもやもやしたり。
そういう己が何言ってるか分からないと周りには思われているかもしれない。
幼児言葉最強。見習わねば。
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by fukadaumiko | 2016-05-11 17:57 | 思いつき | Comments(0)

ギャルママのぶり大根

出産してからパソコンに向き合う時間がなかなか取れなくて放置していたこのブログ。
ぱっと頭に浮かんだことやその日思ったこと感じたことを文章に残すことはやはり大事かもと最近思ったのでまた再開することにしよう、と思った。思っただけでできないという可能性もあるけれど。

食べたものとか見たものとかその時はどうでもいいことでも後になってみると案外面白かったりする。
そんなこと日記帳に書けばいいのではと思うけど過去に日記を三日坊主どころか一日坊主で終わらした常習犯の私としては誰かが見ているかもしれないという意識が少しはあった方が書くモチベーションになるかなとも思う。
更新していないブログなんて今誰も見ていないと思うけど、どこかの誰かが偶然に開いたらそれってすごいことかもしれない。

私はインスタ(唯一のSNS)を見ているとき、いつの間にかフォローもしていない全く知らない人のアカウントページを見ていることがしばしばある。

この人の毎日作るごはんが美味しそうとか、この人はお金持ちなんだな、とかこの人は毎日ラーメンばっかり食べてるな、とか会ったこともない全くの赤の他人の生活というか人生の一部に触れて色んなことを感じる。勝手に。
自分の生活や今おかれた状況と違えば違うほど食いついて見てしまう。
例えば斜め上から自撮りした姿をアイコンにしているギャルママ(と呼ぶのか)が毎日作る晩御飯がすごく豪華で、ほほう、すごい手が込んでいるな、これは準備が大変だっただろうな、昨日は全然違うメニューだから材料はほぼ使い切りでうちみたいに何日も同じ野菜が出てくるとかないな、そうすると買い物大変だろうな、今日はぶり大根か、大根一本は重いだろうな、でもこんなワンピースで子どもと自転車とか乗るのかな、それとも車で買い出し行くのかな、あぁ宅配かもしないな・・・と永遠に妄想は続く。ストーカーか。

その人は私に見られているとはつゆとも思わず、今日明日も新鮮な食材を買いに行く。ワーゲンで(妄想)
子どもと二人で圧力鍋で煮たぶり大根を食べ、そして夫が帰宅したら犬を飼うことと子どもの幼稚園入園のことを相談する(妄想)

知っている人の生活をこっそりのぞき見るのとは違うこの感覚。
赤の他人の生活の一部をのぞいてそこから無限に広がる妄想。
いずれにせよ気持ち悪いのには変わりないけれど小説を読むのと同じようについ見入って妄想してしまう。
勝手に見て申し訳ないなと思うけれどギャルママも誰かに見てもらいたくてぶり大根を載せているわけだし。

私のも知らない誰かに見られている可能性はゼロではないと思ったら何かここに書く意味はギャルママが捨てた大根の皮くらいはあるかもしれない。

ああ、もう寝よう。
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by fukadaumiko | 2016-04-07 01:57 | 思いつき | Comments(0)

私たちが今の

モーニング娘。を9期加入時から好きになって、こっそり応援し続けている。
もちろん新譜も購入。ミュージックビデオもいいし、イヤホンから聞くとまたいい。

最近Mステにも出れて、メディアの露出が増え始めた気がする。広告代理店のしかけかどうかはわからないが、実際、少しずつ周りの人から「モーニング娘。」という単語を耳にするようになった。そのたびに内心どきどきしながら、でも熱くならないように彼女たちについて語る。実際には興奮を隠し切れていないかもしれない。とはいえまだモーニング娘。が好きな人には会ったことがない。

私が一番悲しかったのがどんなに頑張っても過去のラブマシーン時代と比較され続け、メディアに出る時は卒業生とセットにされバックダンサー的な扱いをされることが多かったこと。
「今のモーニング娘。って知らない」という言葉を何度耳にしたことか。
でもあえて、「私たちが今のモーニング娘。です」と皮肉的に銘打つことで、ラブマシーン時代ではない「今の」姿を世間に訴える。これだけでもう泣けてくる。代理店の戦略にまんまとひっかかってるのかもしれないがそれでもかまわない。

異様なまでに紅白出場に固執する鞘師さん。最初はどうして年々視聴率が下がり続ける紅白にここまで出たいのかと不思議に思っていたけど多分彼女は紅白にこだわっているわけじゃなく、彼女の中で紅白が一種のステイタスで紅白に出られる=世間に認められるという図式があるのだと思う。そんな鞘師さんを見ていたらまた涙が出そうになっていつの間にか私も出場を期待している。出れたらいいなあ。
メンバーたちの闘志がパフォーマンスにまで現れて、最近は神掛ってさえいる。もうひよ子の衣装なんて着ないだろうなあと思うと少し寂しくもあるけどこの戦闘態勢のモーニング娘。も愛おしい。
ウィークリー一位、とれるといいなあ。

以上、ひとりごと、終わり。






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by fukadaumiko | 2013-08-31 13:20 | 思いつき | Comments(0)

消えたキャベツ

キャベツが冷蔵庫にあるはずだ、よしよし、という具合にスーパーで脇役を買って帰ったら主役は冷蔵庫にはおらず単なる思い込みだったことに気がつく。冷蔵庫の奥を凝視しつつ考えてみると昨日一昨日などという問題ではなく、随分前に使い切ったのを思い出す。うっかりと呼ぶには時間が経ち過ぎている。もうここまでくるとキャベツは消滅したということにすると案外都合がよい。

人の、少なくとも私の掲げる真実は時として揺らぐ。絶対的な真実は絶対的な虚実でもある。勇敢にも架空のキャベツは架空の調理をされ架空の一皿として私の胃を満たそうとしたが失敗に終わる。
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by fukadaumiko | 2012-06-11 23:19 | 思いつき | Comments(0)

天国

今朝の通勤電車の中で。幼稚園の小さな女の子と母親の会話。

「この電車は遠くへいくのよ」「遠くってどこ?どこ?」「・・・」「あ、天国!天国でしょ!」

満員の通勤電車で天国という言葉を耳にするとはまさか思ってもいなかったので驚いた。子どもの発する言葉にはどんな偉い作家も叶わないと思うのは私だけだろうか。天国といえば小さい頃、歩行者天国に強い憧れを持っていた。大人になって初めて踏み入れると意外とあっけないというかただの道なのかと思ったがやはり歩行者天国という言葉自体には今でもどきどきする。天国も地獄も煉獄も己が見たことがないものに大人も子どもも畏怖と憧憬の両方の念を持つのは遠い昔から変わらないのかもしれない。





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by fukadaumiko | 2012-05-19 00:34 | 思いつき | Comments(0)

ゴム紐が緩む季節

最近めずらしく残業続き。昨日はあまりに疲れたので気に入りのおでん屋で一杯。
お客さんに女子が一人もいない、というか平均年齢がかなり高めだったのでしまった、これは場違いかと思ったけれど入ってしまったものは仕方がない、ええい、と読みかけの本を片手に日本酒をちびちび。サラリーマンに常連さんですかと恐ろしいものを見る目つきで聞かれてしまった、そんな夜。


暖かくなり是非ともやりたいのはバーベキュー。いかんせん複数の人を要するので毎年やりたいと思うだけで結局はやらずに終わってしまう。何がいいのか全然わからないのにイメージだけが先行し絶対面白そうだと思うことの一つ。花見や文化祭なんかもそうかもしれない。あのゴム紐が緩みきったような幸福そうな空気に埋没してみたいと思うのも季節のせいということにしておく。


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by fukadaumiko | 2012-04-25 23:03 | 思いつき | Comments(0)


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